所属農家・活動紹介


仙果園 吉田宏さん

140年の歴史を守りながら、挑戦することも忘れない


陸前高田市米崎町で、リンゴ農家として140年以上の歴史をもつ「仙果園」は、初代の吉田勘之助(よしだかんのすけ)さんが、この地域で、果樹栽培を最初に商売として確立させました。

現在5代目となる吉田宏さんに、その歴史とこれからの活動についてお話を伺いました。

農業を志す

仙果園の果樹栽培は、明治14年「ナシ」からはじまりました。当時、気仙大工として全国各地へ出稼ぎに出ていた勘之助さんが、出稼ぎ先から穂木を持ち帰ってきたことから。同じく、リンゴも明治20年に勘之助さんが苗を持ち帰り、自宅の庭に植えたのがはじまりです。

実は、その頃に植えられたリンゴの古木が今現在も、毎年たくさんの実をつけています。樹齢は120年をこえ、県内最古となる貴重な存在となっています。

3.4へクタールという広大な農園では、約50種類のリンゴが栽培されています。

「直売所を毎年9月から開けるので、12月まで品切れがないように、いろんな種類を作っています。種類によって収穫の時期が異なるので、なるべくもぎたてのリンゴが提供できるように栽培しています。出荷できないものは、すべて加工品用に使うようにして、無駄にしないようにしています」

リンゴ栽培の他に、「食堂カフェ仙華園・クレープ仙華園」を運営する宏さん。ここまでの道のりをどのように歩んできたのでしょう。

大学を卒業後、北海道大学の農学部畜産関係学科の文部技官として、8年ほど勤務していました。

「もともと自分で農業をやりたいと思っていました。ちょうど30歳で区切りをつけようと考えていたので、そのタイミングで陸前高田へ戻ってきました。実際にやってみると、父との考え方が合わなくて、難しい部分もありましたね。でも、自分のやれる範囲でやってみたり、新しい技術を導入してみたり、試行錯誤しながらやってみました」

困難を乗り越えて

そんな時、大型で強い台風が直撃し、仙果園も大きな被害に遭いました。宏さんは、天候や自然災害などで左右されてしまう農業だけで生活をしていくのは、大変なことだと実感したそうです。

そこで新たに副業としてはじめたのが、飲食業でした。

「今まで飲食業の経験がなかったので、当時、神奈川県でラーメン屋の店長をやっていた従兄弟に声をかけて、2000年にオープンしたショッピングセンターリプルのフードコートで『上海厨房 仙華園』をはじめました。もともと料理は好きでしたが、私も盛岡で研修を受けたり、お店で実践を重ねて料理を学びました」 お店も軌道にのっていた頃、2011年3月11日に発生した東日本大震災により被災。その後、わずか3か月で現在店舗を構える場所に「食堂カフェ仙華園・クレープ仙華園」を再建しました。

予想できない自然災害の影響を何度も受けきた宏さんですが、そのたびに負けることなく立ち上がります。

「今はお店の方が忙しくなってきています。リンゴ園の方は、両親とパートの方3人で作業をしていますが、私も時間があれば行くようにしています。両親やパートの方も高齢になってきたので、3.4ヘクタールの土地を作業するのも大変です。そこで、みらい創造財団朝日のあたる家で、農福連携のサポートをする活動を行っていると聞いて、相談に行きました」

農業と福祉の連携について、コーディネーターの鈴木拓さんから詳しく説明を聞き、その活動に賛同し、「ぜひ、タカタアグリコンソーシアムのメンバーに入れてほしい!」と伝えたそうです。この地域で農業をやっている仲間作りができたら……そんな想いもあったと宏さんは話します。

2023年秋から連携がスタートし、2024年1月に正式にメンバーへ加入となりました。

▼連携の様子はこちらの記事をご覧ください▼

未来へ膨らむ夢と期待

最後に、今後の目標を伺いました。

「これからもあまり農薬は使わない、安全な農作物を作っていけたらと思います。レストランでも、安心安全な食材を使った料理を提供していきたいですね。農福連携に関しては、どんどん福祉の方たちに作業に入ってもらって、お互いに盛り上がっていけたら嬉しいです。今は、加工品にも力を入れているので、今後、袋詰めの作業やラベル貼りもお願いできたらと思っています」

こんな夢も語ってくれました。

「地元の方にたくさんお世話になっているので、近い将来、子ども食堂もやりたいなと思っています。小学生から高校生の子どもたちが学校帰りに来て、宿題をしてご飯を食べて……そんな場所を作れたら、少しは地元への恩返しになるかなと思いますね」

どんな困難があっても諦めず、また違う角度から新たな道を切り開いていく宏さんの姿勢は、地域の新しいかたちの創出の一助となることでしょう。

取材・文:吉田ルミ子

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